※入江泰吉の「吉」は、正しくは2番めの横線が長い(士ではなく土)文字です。 

第1回「写真家・入江泰吉」
入江泰吉概論~奈良大和路と出会うまで~

2013年7月27日(土) 午後1時30分〜
 場 所 奈良市写真美術館/ろくさろん
 講 師 兼古 健悟氏(奈良市写真美術館学芸員)

 入江泰吉記念奈良市写真美術館に集合し、開催中の展覧会「ミスター・ウエット・イリエ」と「入江泰吉の文楽」を鑑賞。「文楽」は兼古健悟先生の解説付きで、大変貴重な「かしら」も撮影されていること、楽屋や舞台裏の得難い場面が捉えられていることなどがわかった。
 続いて場所をすぐ近くのカフェ「ろくさろん」に移し、同じく兼古先生に「入江泰吉概論~奈良大和路と出会うまで~」のテーマで、理事長の倉橋みどりとの対話形式でうかがった。  奈良市片原町で生まれた入江先生の幼少時代、最初は画家になりたいという夢を抱いていたこと、また大阪で写真材料商店「光芸社」を開業したことなど、奈良に移る前の入江先生のプロフィールが紹介された。
 文楽の写真については、世界移動写真展で一等賞を受賞し、賞品は世界一周旅行であったが結局旅行は果たせなかったこと。さらに、大阪大空襲で自宅が全焼した際、たまたま持ち出した風呂敷包みの中に、文楽の写真があり、奇跡的に残ったことなど、興味深い話が続いた。
 入江先生が奈良に移ったのは、奈良を撮りたいという思いからではなく、大阪の自宅が全焼したためやむを得なかったことだという話は、その後の先生の優れた作品と奈良大和路への傾倒ぶりを思うと、意外でもあり、奇縁だと思わずにはいられない。

第2回「写真家・入江泰吉 入江泰吉の仏像写真」

2013年9月28日(土) 午後3時〜
 場 所 踏花舎(奈良市東笹鉾町32)
 講 師 小西正文氏(興福寺国宝館元館長)

 興福寺国宝館館長を長年務められた小西正文先生は、日本中にファンを持つ阿修羅像を誰よりも間近に、そして誰よりも大切に見守ってこられた方である。現在も月刊誌に奈良の仏像について執筆されるなど、仏像の専門家としてご活躍である。
 今回は、小西先生に、入江先生の仏像写真について、写真の専門家としてではなく、仏像の専門家の観点からその魅力について、理事長の倉橋みどりとの対話形式でうかがった。
 まず、入江先生が奈良の仏像を撮り始めるきっかけとなった「戦後、アメリカに奈良の仏像がもっていかれるというデマが広まった」というエピソードを著書などから紹介。続いて、初期の作品である「東大寺戒壇院四天王像のうち廣目天像」、「新薬師寺十二神将のうち伐折羅大将像」をスクリーンに映し出しながら進行した。それぞれの仏像の撮る角度やトリミングから、心を見透かされていると感じたと後に述懐するほど、入江先生が仏像に迫っていることを指摘された。続いて、阿修羅像を入江先生がどう撮ったかを、飛鳥園の小川光三氏らと比べながら紹介。入江先生は非常に仕事(撮影)が速かったことや、再撮影のエピソードも披露された。
 入江先生とはお宅が近所で、長年家族ぐるみで親しくおつきあいをされていた小西先生ならではのこぼれ話も混じえての講座となった。

第3回「写真家・入江泰吉 編集者から見た入江泰吉」

2013年11月30日(土) 午後1時30分〜
 場 所 踏花舎(奈良市東笹鉾町32)
 講 師 田中昭三氏(編集者)

 入江泰吉氏の写真集の編集をてがけ、生前の入江氏と親交があった編集者・田中昭三氏を招いた。
田中氏からは、まず入江氏が生涯に出版した写真集について、実際の本も何冊か回覧しながら紹介された。入江氏の出世作となった『大和路』シリーズが出版される際は、今でいうメディアミックスの手法で、テレビCMなどで大々的に宣伝をし、全国に入江氏自身のみならず、大和路ブームのさきがけにもなったという。
続いて、入江氏は編集する際、作業が始まると編集者に任せてくれ、非常に穏やかで寡黙だった入江氏の人物像も語られた。
最後に、特に没後は一点ずつの写真作品を鑑賞したり、評価することが多くなるが、生前の入江氏の思いが詰まった写真集という形で見直すと新しい発見があるのではないかという提言があった。 

第4回「写真家・入江泰吉 土門拳と入江泰吉」

2014年3月22日(土) 午後1時30分〜
 場 所 踏花舎(奈良市東笹鉾町32)
 講 師 堤 勝雄氏(写真家)  牧野貞之氏(写真家)

 入江泰𠮷氏と同時代に活躍した土門拳氏はともに奈良大和路を愛し、多くの作品に残した。どんな共通点があるのか、また違う点は何か。土門拳の弟子・堤勝雄氏、入江泰𠮷の弟子・牧野貞之氏を招き、思い出も交え、それぞれの師についてうかがった。
 奈良との出会いについて。土門氏は室生寺の仏像の撮影をきっかけに奈良に魅せられるようになった。全五巻の代表作『古寺巡礼』にも多くの奈良の作品が収められている。「日本の美を証明する」という責務から奈良大和路を撮ることを続けたのだという。一方入江氏は、当シリーズ第1回でも詳しく紹介されたが、戦後奈良に戻ってきた際、疎開から帰ってきた仏像を東大寺でみかけたことを機に大和路を撮り始めた。亀井勝一郎氏の『大和古寺風物誌』にも影響を受け、牧野氏曰く「奈良大和路を知りたいと願い、愛し続けた」という。
 最後に師から学んだこととして、牧野氏は「20万部の写真集に載せる写真は20万人の人に説明できるように撮らなくてはいけない。写すものを知って理解してから撮ることが大切だと教えられた」と延べ、堤氏は「知らないとそのことがなかったことになる。チョロスナ(ちょろっと見て、スナップすることで土門氏の口癖)はダメで、世の中をじっくり、全うに見るよう繰り返し言われた。映らないものを写すのがプロの写真家の仕事だと学んだ」と語った。